「それ」を最初に見つけたのが、日頃から厄介事は御免だとぶつぶつ文句をつけている当のエースだったのは、本人にとって運の悪いことだったに違いない。


 第十二小隊のメンバーは、久し振りに全員揃ってビュッデヒュッケ城周辺の偵察に出ていた。
 ゲドが城へ留まる事を決めてから、出番がなければ存分に城での生活を満喫している面々である。
 が、やはり本分はこういった活動にある。久々にゲドからお呼びがかかり、張り切って出かけた……のだが、敵の姿を見ることもなく、モンスターに遭遇することもなくて、やる気は空振り気味だった。
 空は青く晴れ渡り、木立から木立へと小鳥が囀りながら飛び回っている。
 次第に緊張感も薄れてきて、アイラなどは小声で歌を歌いだす始末である。
 エースは舌打ちしたくなるのを辛うじて堪えつつ、「これで弁当さえあればピクニック御一行って感じだね」というクイーンの苦笑混じりの台詞を耳に入れていた。
 一同は予定していた経路を半分以上やり過ごし、既に城へと帰るルートを取っている。
 緩やかな上りになっている丘を、林の端づたいに進んでいた。
 なまり気味な身体を動かすいい機会が失われつつあり、エースはカリカリしながら林の暗がりに獲物の一つもいないものかと目を凝らしていた。
 ……と、茂みの向こうで、何かの声がした気がした。
 他のメンバーが彼の行動に気付く前に、エースは素早く隊列を離れて、そちらに向かっていた。勿論、愛用のサイをしっかり構えなおしている。
 わくわくしながら茂みを目指して気配を消して進み、次第にはっきり聞き取れるようになった頃に、嫌な予感がした。
 が、一応の期待を込めて構えを解かないまま、茂みの向こうを用心深く覗く。
「……ちっ」
 思わず、声に出して舌打ちしてしまった。
 顔をしかめて「それ」を見つめる。
 エースの期待からは遠く離れたものが、そこにいた。
 しかも、アイラあたりが見つけたら大騒ぎすることは目に見えている。
 他の連中に気付かれないうちに引き返そうと振り返った瞬間、エースの胸板に、ごつっと堅いものがぶつかる感触がした。
「……痛いなあ」
 下を見下ろすと、まさにそのアイラが額を擦りながら、涙目でエースを見上げていた。
「げっ」
「急に振り向くから、ぶつかっちゃったじゃないか」
 口を尖らせたアイラの言い分を無視して、エースは素早く背後にあるものをアイラの視界から遮った。
 アイラはそうと気付かないまま、首を傾げてそちらを見ようとしている。
「急にこっちに歩いてきて、何か見つけたのか?」
「いやっ、何にもいなかったっっ」
「何でそんなに慌ててるんだ」
 不審そうな顔をしたアイラの後を、なんだなんだと残りのメンバーが追ってくるのが視界に入った。
 エースは焦って、アイラの肩を掴むと元いた場所へと押し出した。
「いいからいいから、早く城に帰ろうぜ。お前さんの好きなソーダもたっぷり飲ませてやるから」
「……なんか、怪しい。それに、何か聴こえる気がする」
 アイラは自分の肩に乗ったエースの手を振り落とすと、その脇をすり抜けて茂みの傍に近づいた。
「あーっ!」
 途端に上がったアイラの声に、エースはがっくりと肩を落とした。
 吐息してその場を離れたエースと入れ替わりに、他のメンバーが追いついてきて、アイラの傍にやって来た。
「なんじゃ、猫か」
 アイラがしゃがみこむその傍には、各々に鳴く三匹の仔猫がいた。
 更に仔猫の傍には、既に息絶えていると思われる親猫の亡骸が横たわっている。
 アイラはそっと手を差し出し、匂いを嗅ぎに寄ってくる仔猫の姿に見入っていた。
 そのアイラを立ったまま囲む形で、ジョーカーとクイーンとジャックが見下ろしている。
 ゲドは傍には近寄らず、周囲の景色に眼を遣っていた。
「こりゃ、病気か何かで親猫は死んだんじゃな」
「そうだね。モンスターに襲われたんなら、この仔猫達も無事じゃ済まないだろうし」
「……腹を…空かしてるのかも……」
 周りの声など耳に入らぬまま、アイラは小さなか弱い生き物が震えながらアイラの指を舐め、温かい身体を摺り寄せてくるのを見つめていた。
 その内の一匹で、黒白の雄をそっと抱き上げると、仔猫は一心に訴えかけるのを止めて、澄んだグレーの眼でじっとアイラを見つめた。
 その瞬間、アイラは遠くに立つゲドを見た。
「私、この仔猫達を連れて帰りたい!」
「言うと思ってたが、駄目だっっ!」
 間髪入れずに返って来た返答の主を、きっとアイラは睨みつけた。
「エースのケチっ!」
「何とでも言え、駄目なもんは駄目だっ。大体、俺達の稼業で猫なんか連れて歩けるわけないだろう。猫は人より環境に馴染むんだ。それを、ほいほいあちこちに連れて歩けると思ってんのか?」
「それは……」
 正論に、アイラはぐっと詰まった。アイラの掌の中で大人しく包まっている仔猫が、じっとアイラを見上げている。
 その丸い眼に励まされて、アイラは再び顔を上げた。
「でも、このまま置いてなんか行けないよ」
「そうじゃのう。まあどうせ、エースの奴は銭を出すのが惜しいだけなんじゃろうけどな」
「な、何だとジジイ!」
「図星を指されとる」
「そ…、それに、誰がこいつらの世話をするんだよ」
「私!私が言い出したんだから、面倒見る!」
「俺も……面倒見る……」
「ワシも構わんぞ。捨て行くのは、ちと可哀相だからのう」
「ジジイはミルク代わりに酒をくれちまうだろうが」
 各人がわいわいと騒ぎ出して収拾がつかなくなりかけたところで、それまで黙って成り行きを見守っていたクイーンが口を開いた。
「アイラ、少しは落ち着きな。あんたの言いたいことは分かったから」
「クイーン、だったら……」
「でも、このケチの理屈も尤もだってのも分かるだろ」
「誰がケチだっ」
 エースを無視して、クイーンはアイラの目線に合わせて膝を曲げた。
「だから、この猫たちはうちの小隊じゃ飼えない」
「……」
 唇を噛んだアイラに向かって、クイーンは表情を和らげた。
「でも、貰い手を捜すことはできるかもしれないだろ?ビュッデヒュッケ城には沢山住人がいるし、カラヤの中にはあんたの知り合いも大勢いるだろうから、その中の誰かが猫を欲しがるかもしれない」
「じゃあ……」
「連れて帰って、飼い主を捜そう」
「うん!」
 大きく頷いたアイラを微笑して眺め、クイーンはエースを振り返った。
「そういうことなら、あんたも文句ないだろ」
「……仕方ねえな。アイラ、しっかり責任取れよ」
「うん、分かってる!」
 アイラは胸元に猫を抱き寄せ、その温もりに頬を寄せた。
 ……ゲドは、始終沈黙を通したままであった。


 仔猫たちの親を木陰に葬った後、一行は仔猫を連れてビュッデヒュッケ城に帰還した。
 エースはこの件に関与しない態度を通していたが、ゲド以外のメンバーは、それから仔猫たちの飼い主を捜して、個々につてを頼った。
 城の壁新聞に飼い主募集の記事を頼んだり、張り紙を人目につくところに張り付けたりもした。
 アイラも、クイーンに言われたとおり、城の住人やカラヤの人間を訪ねて回って、仔猫の貰い手がいないか捜したのだった。
 その結果、可愛い盛りであることも手伝って、三匹のうち、二匹は無事に貰い手がついてほどなく引き取られていった。
 残ってしまったのは、黒白の雄ただ一匹である。
 だが、なかなか貰い手を見つけることが出来なかった。
 この猫にとって不運だったのは、他の兄弟に比べて容姿がお世辞にも可愛いとは言えず、滅多に泣き声を漏らさない愛嬌のない性格であることだった。
 アイラ達も奔走したのだが、一週間たっても飼い主の名乗り出はなかった。


 アイラは自分の部屋の隅に小箱を置いて猫を入れ、その傍で仔猫の世話につきっきりだった。
 前回の偵察以来、城を出ることはなかったが、エースの言うとおり、次に出撃があっても仔猫を連れてゆくことは出来ない。
 途方に暮れながら、しかし世話を放棄することなく、アイラは仔猫の面倒を見ていた。
 こうしてじっくりと仔猫を眺めていると、黒白の配分が、丁度首元で紐を結んでマントを羽織っているように、はっきりと模様が分かれていることが分かる。
 仔猫の片目は、病気を患って化膿している。これは城の医者に診せて、「専門外なんですが…」と断りを入れられた上で、治療の最中であった。
 加えて、殆ど鳴き声を発さない寡黙な雄猫だった。
 アイラ以外に滅多に懐かず、警戒心が強くて愛想を振り撒くこともない。
 アイラは、この猫を見る度にある人物を連想していて、そのことをクイーンだけに告げていた。
 クイーンも、アイラの言う事に笑いながら同意していたので、まんざら外れた連想ではなかったらしい。
 今は小さな身体を丸めて眠っている仔猫を眺めて、アイラも小さくあくびを漏らした。
 部屋の扉がノックされ、クイーンが入ってきた。手には仔猫のミルクが入った皿を持っている。
「おや、良く眠ってるようだね」
「うん……」
 ぼんやりと頷いたアイラを、クイーンは気遣わしげに眺めた。
「アイラ、あんたも少し眠りな。ここの所、この仔の世話ばかりでろくに寝てないだろ」
「でも、もう少ししたらミルクをやらなくちゃ……」
「私が見ててやるから」
 クイーンはアイラをベッドに追い立てた。やはり仔猫の面倒でかなり参っているらしく、アイラは素直にベッドの上で毛布に包まると、まもなく寝息を立て始めた。
 窓に日よけを降ろして室内を薄暗くしてから、クイーンは仔猫の傍に腰を下ろした。
 アイラと同じように、今は仔猫も安心しきって眠っているようだ。
 アイラが言っていたことを思い出して、クイーンは口元に笑みを刻んだ。
「まったく手間が掛かるね……『ゲド』?」



 仔猫の「貰い手」に決着がついたのは、それから数日後のことだった。
「え?だって……いいのか?」
 アイラは仔猫を抱いたまま、困惑してエースを見つめた。
 たった今、エースは憮然とした表情のまま、
「そいつをうちで飼ってもいい」
 と告げにやってきたのである。
「同じことを何度も言わせるな。とにかく、そういうことだ。詳しいことはクイーンに聞け」
 仏頂面のまま、エースは言いたいことを言い終えると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
 思わずぽかんとして見送ってしまったアイラは、彼といっしょに来たクイーンに視線を移した。
 こちらは、笑いを堪えているようである。
「まあ、そういうことよ、アイラ」
「でも、猫を連れて歩けないって……」
「そうさ。だから、これから城を出るときは、酒場のアンヌに預けて行けばいいんだよ。もう話はついてる」
 仔猫の世話を続ける限り、最高級のワインを年一本ずつアンヌに届ける事になっているのだ。アンヌは酒場から動くことはないので、猫の世話にうってつけだった。加えて、彼女は面倒見が良く、同じカラヤのアイラを知っているので、仔猫の世話を頼みやすかったのだ。
 そして、その出費は隊費でまかなう事になっていた。
 その交渉をしたのはエースだった。
 全く同じことを考えていたクイーンは、エースをアンヌの説得に当たらせるべく、脅し…もとい頼むつもりで、先刻エースを訪ねたのだ。
 すると、不機嫌そうなエースが、既に交渉済みだと言う。
 その理由を聞いて、クイーンは微笑が浮かぶのを抑えられなかった。
 強硬に反対したエースが、こうもあっさりと意見を変えた経緯が分からず、きょとんとしているアイラに、クイーンは含み笑いをしながら、ひとつだけ教えてやった。
「ああ見えて、エースもあんたの心配をしてるんだよ」


 かくして、仔猫はアイラに飼われる事になった。面倒を見ることが出来ないときは、アンヌに預けてゆく。しばらくはビュッデヒュッケ城に留まっているので、アイラ自身が仔猫の面倒を見ることが出来そうだった。

 その日の仕事を終え、ゲドが私室に戻った時、彼の寝台の上には、アイラと、小さな黒白の猫が仲良く眠りに落ちていた。
「……」
 ここにいる理由が分からず、ゲドは一瞬扉の側で立ち止まり、夕日が差すベッドの上を見つめる。
 後ろから足音が近づいてきたので肩越しに見ると、クイーンがやってきたところだった。
「どうしたんだい、こんなところでぼんやりして」
「いや……」
 ゲドは答えを濁し、室内に足を踏み入れた。
 ベッドの上には、アイラが仔猫と遊んでいたらしい玩具が散らばっている。
「また随分と散らかしてるねえ」
 ゲドに付いて部屋に入ってきたクイーンは、アイラと猫を起こさないよう、手早くそれらを片付けた。
「アイラが、あんたに猫を見せるって言ってね。あんたの帰りを待ってたみたいなんだけど、どうも待ちくたびれたみたいだね」
 クイーンの声に反応してか、仔猫の耳がぴくりと動いた。もぞもぞと身動きしたかと思うと、仔猫は欠伸をしながら頭をもたげて二人を見た。
 アイラの腕の中にいた仔猫が立ち上がり、軽く伸びしてからアイラの腕を飛び越えた。
 そしてゲドの顔を見て、小さく鳴いてみせた。
「おや、珍しい……滅多に鳴かない仔なんだけどね」
 クイーンがそう言うのを耳に入れながら、ゲドは仔猫を脅かさないよう、そっと手を差し出した。
 一瞬身を引きかけた仔猫は、ゲドがそれ以上手を動かさないので、暫くしてゆっくりと歩み寄り、匂いを嗅いでからその身を手の甲に擦り付けた。
 仔猫が警戒を解いたのを確認してから、そっと柔らかい身体を抱き上げる。
 ゲドがじっと仔猫を見つめているのを、クイーンは口の端に笑みを刻んで見守っていた。
「……ねえ、その仔のこと、アイラは何て呼んでたと思う?」
「さあな」
 クイーンはふっと思い出し笑いをした。
「ゲド?」
 呼びかけるのと同時に、仔猫がにゃあ、と鳴いた。
 瞬間、ゲドと仔猫の視線が合う。ゲドが黙然と仔猫の顔を見つめると、仔猫はもう一度鳴いてみせた。
「……おい」
「文句はアイラに言うんだね。すっかり自分の名前だと思ってるよ」
 ゲドは猫を抱いたまま、アイラを見遣った。規則的な寝息を立てて、アイラはぐっすりと寝入っている。
 眉をひそめて黙り込んでしまったゲドの肩を叩き、クイーンはアイラの側に近づいた。
 寝台の端に寄った毛布を引き上げ、アイラの身体を包んでやる。
 アイラがゲドを待っていたのは、仔猫の件で礼を言う為だった。
 隊の経費に関しては、途端に財布の紐が固くなるのが会計係である。
 そのエースが渋りながらも仔猫の為の出費を認めたのは、ゲドの一声があったからだった。
「……このままでは、お前も後味が悪いだろう」
 そう言って、エースに仔猫の手配をするよう告げたと、クイーンはエース自身の口から聞いていた。
 エースにとってもゲドのその指摘は耳に痛いものがあり、その場では反発したものの、結局、顔馴染のアンヌの許を訪れて、段取りを整えたのである。
 その経緯をクイーンから聞き出したアイラは、ぶっきらぼうにだが、エースに、
「……ありがとう、エース」
 と告げに行った。その時、エースはアイラを振り返らないまま、
「礼なら大将に言いな」
 とだけ返した。
 ……そんなわけで、アイラはゲドの帰りを待っていた。が、待ちくたびれて、そのまま寝入ってしまったのである。


 アイラは夢の中を心地良く漂いながら、意識の端でゲドの声を感じ取っていた。
 目が覚めたら、ありがとう、と言おうと思う。
 そして、ゲドに仔猫の名前を付けて貰おう、そう思いながら、次第に眠りから醒めていったのだった。


・・・THE END・・・



「黒と白」
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